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2006年12月29日

今年も終わりですね

 いじめによる子供の被害が相次いだ平成18年も幕を閉じようとしている。

来年こそは良い年であるようにと皆様こころから願っておられることでしょう。

社会が成熟すると無規範の子供や破綻をする家庭が増えると百年も前に予言
した学者がいたことを聞いた事があります。

近代社会の恩恵を一番受けている先進国フランスが自由を履き違えたばかり
に国家が解体されるかも知れないという危機に立たされていることはテレビや
新聞などで既にご存知のことと思いますが、フランスに続いて荒廃した社会に
なりつつあるのが我が国日本であるような気がしてなりません。

民族や宗教や人種、思想、価値観などを越えて地球上の全ての人々が統合
できる真理がきっとあるはずです。

目の前の他人の事がまるで自分の事であるかのように考えられる価値観に
この地球に住む全ての人が目覚めることができれば良いですね。

2006年05月24日

醜い実態の自分

周囲の人に良く思われたい、評価されたい、馬鹿にされたくないという仮面(ペルソナ)を着けた自分。

周囲の人に自分という存在を認知させたい自分は極めて打算的で周りの人から損害を受けないように立ち振る舞う自分。

周囲の人から軽蔑されたり、けなされたりする事だけは絶対に許せない自分。

保身的な自分。

あいつは悪い人間や~俺は良い人間や~と、常に周囲の人を対立的に見てしまう自分。

利己的な自分。

どこまでも自己本位な醜い自分が私の自我の実態なのです。

そんな自分でも一つだけ信じられる自分を見つける事ができました。

醜い、汚い自分だからこそ有機体システム統合思考で生きていく事が必要なのだとこころから信じている自分を発見した。

残された人生を充実させたいと願う。

2006年05月21日

目の前の相手の問題点

普段私たちは目の前の相手に対して問題点を発見した時はどうしてもその人を批判的に捉えてしまいます。

私にはその様な問題点はなくあなただけその問題点があると捉えてしまいます。

このような思考により相手の問題点を指摘すると相手はこちらの指摘を受け入れるはずはありません。

お互いが自我にとらわれた状態では良好な関係性は保たれないでしょう。

相手が自分の問題点について理解してくれたとしても相手が感謝まではしてくれないでしょう。

共感性が大切ではないでしょうか。

共感性とは相手が現在の問題点を抱える結果になった理由や背景に対する思いやりと優しさです。

自分でも同様にその人と同じ環境であればその様にならざるを得ないと言う共感的確信です。

そして自己の中にある相手と全く同質の問題点の気付きが求められるのではないでしょうか。

2006年05月05日

近代文明社会が成熟すると離婚が増えるってホント?

フランスの社会学者のディルケームは100年も前に近代文明社会が成熟すると家庭が崩壊すると予言していたそうだ。

現在の日本はディルケームの予言通りに親子の間で殺し合い夫婦の離婚は社会現象化している。

何が問題なのか。

教えなければならない事をきちんと学校教育で教えていないのではないだろうか。

自分は何のために生まれてきて何を信じて何を目標に生きているんだとちゃんと言える人が世界に何人いるでしょうか。

2006年05月01日

発想の転換の試み

その人に感じてしまう憎悪の念は、何故起きてくるのか。

それは、私の中にその人に抱く嫌な印象と同じものが私の中にもあるからだと思う。

そうでなくては、その人の嫌な部分を私が気付くはずがない。

もし、そうだとしたら私にも相手と同じ嫌な部分があることになる。

そのことを確信すれば相手の人の嫌な部分と全く同じものが私の中にあるということになる。

他人事とは思えないその人のこころの中には確かに嫌なこころもあるがその全部が悪いものとは限らない。

むしろ他人に同情してあげたいこころもあるに違いない。

そこで思い切って自分の方から積極的に好意と共感を持ってみよう。

その前提で私がその人に抱く嫌な印象を文章化してみよう。

そしてその文章化した内容を自分に置き換えて振り返ってみたい。

その内容の中を読んで私の中にも同じ嫌なものがあると信じられたら私がその人を受け入れられることになる。

その人を受け入れられたら、これまでの日々の私の対応がその人を深く傷つけていた具体的内容が分かってきた。

これからひとつ一つ私の行動を具体的に変えていくため行動目標をつくろう。

2006年04月30日

自他の関係に対する認識と行動性

自分を深く認識し、その認識した自分の内容を自分自身に受け入れた人だけが出合う全ての相手と理想的な関係性を創造する。

という考え方がある。

私が目の前の嫌いな人との信頼関係をつくらなければ会社というコミュニティー全体にとって大きな迷惑をかけることは理解できる。

例えば日々の業務においてその人に伝えるべき必要な事は沢山ある。

でも、場合によっては意図的にその内容を伝えない事さえある。

なぜならば、その人が困ったとしても私には関係のない事だから。

何故そうなるか理由はいくつかある。

ひとつは私はその人がどうしても好きになれない。

むしろ、その人の顔を見るとこころの中に憎悪の念があることに気づく場合がある。

その様な時には声を聞くのも嫌になる。

つまりその人の事を受け入れる事が私にはできないのである。

他にもその人に抱く悪い印象は沢山ある。

その印象が私自身のこころの中を支配しその人の言葉や行動の全てを私自身の価値観で判断している傾向がある。

しかし、このままの状態が良いとは思えない。

毎日顔を合わせなければならない人とこれからも会社で仕事を一緒に続けていかなければならないからである。

この状態が続けば私のストレスは更に膨らみ続けいつ爆発してしまうか自分でも分からない。

その時はどちらも不幸になるだけではなく、会社で一緒に働いている人達に悪い影響を与える事になる。

いや、私とその人との関係性の悪さは既に多くの問題を発生させているがそのことに誰も触れないだけである。

この問題を私は解決しなければならない。

そのためには一体どのように考えて行動すれば良いのか・・・・・

2006年02月06日

もう一人の自分

今日の午後0時前後田川地区では雪が舞った。
雪と言うよりは小さな氷の粒が間断なく降っていた。
行橋に花輪を立てる仕事が入ったのでAさんとBさんが赤村を経由して峠を越えて現場に行こうと花輪を積んだトラックで出発した。
しかし峠は積雪で車がスリップして通れない。
やむを得ずバイパスに向かった。
ところがバイパスも積雪のため渋滞しており車が進まないそうだ。
引き返して峠を越えるのでタイヤチェーンを持ってきてくれと事務所に連絡が入った。
私はマイ四駆で待ち合わせの場所まで向かう。
峠の手前で合流し花輪のトラックにタイヤチェーンを装着。
私は心配だったので後から付いていく事にした。
フロントガラスに打ち付ける小粒の氷。氷。氷。
いつもの雪の状況とは少し違うようだ。
峠は10㎝以上は積雪している。
しかも轍は白く下からアスファルトが見えていない。
最悪の状態だ。
前を走る花輪のトラックがタイヤチェーンを着けているのにも拘わらず車体の後部を右に左に振って雪をはじき飛ばし、ががががが、ぶーんぶーんと時にうなり声をだしながら苦しそうに峠を登る。
大丈夫だろうか果たして現場に行き着く事が出来るのだろうか・・・・・
やっと頂上を越えて坂道を下り始める。
だが下り道の方が恐ろしい。
その時であった。
私の車がいきなり右カーブで横を向いた。
しまった!
車体後部が振った方向にハンドルを切る。
制動が利かない、自分の意に反して車が走る。
がちがちがちがち
この音に私は吃驚した。
無意識の自分がサイドブレーキを引いているのだ。
うわっ!なんて事するんだぁ
意識の自分がサイドブレーキを降ろす。
車は斜めになったまま対向車線を走る。
どうぞ前から車が来ませんようにぃ
すこし空走してようやく前を向いた。

なんという恐ろしい自分が自分の中に住んでいるというのだ。
無意識の自分は身の毛のよだつほど恐ろしい自己であった。

2006年02月05日

3世代の食事

価値観が低かった私は以前システムで物事を考える事が出来なかった。
家庭で何か問題があった時、私は妻の責任と思っていた。
自分は外で働いていて給料はちゃんと銀行に入っている。
家庭の問題は妻の問題であって自分の問題ではない。
長男に問題があった時もそうだった。
長男だけに問題があるのだと思っていた。
あれから10年経って長男と私と母と3人で食卓を囲む事が出来るようになった。
お酒を飲みながら長男と会話をしているとあの当時家庭に問題があった、その問題を放置していたそのことが時間の経過と共に長男に非行という問題で表面化しただけであって、家庭の問題は実は私の問題であったのだと言う事が良く分かった。
つまり家庭の問題を自分の問題として捉える事が出来ずに見て見ぬふりをしていた私に責任があったのだ。

2005年10月31日

お陰様で腰痛はかなり楽になりました

腰痛が一番ひどい時に会社で話していたんですけど
「この痛みを一発で治してくれる整体師さんがいたら10万円払っても惜しくないよねぇ。でも、その痛みが治った瞬間、治療費の10万円がとたんに惜しくなるだろうねぇ・・・・・」
私ってそんな人間なんです。
恩という字は原因の”因”と”心”という字から成り立っています。
心は”さとる”
私がここに存在させて貰っている原因を悟る。
恩には四恩があります。
両親に対する恩
 両親がいないと私はこの世に存在しないのです。
国家に対する恩
 国家があるから安全に生活できるのです。
 私達はとっくに疫病で壊滅しているでしょう。
世界に対する恩
 家庭や会社も世界と考えます。
 私たちが口にしている食物の90%は外国から輸入されていると言われています。
宇宙に対する恩
 地球の兄弟星達が地球に降り注ぐ隕石を一手に引き受けてくれています。
 人間が住める環境は兄弟星達が守ってくれているのです。
恩を知るから皆さんに感謝できるのです。
恩を知るから恩に報いようとするのです。
感謝の足りない私・・・・・
人間の生きる目的は?
恩を返す事。
理解できていても行動が伴わない私・・・・・

2005年10月11日

オフクロにふられる

先日の事、安い二泊三日の北海道旅行のツアー商品があった。
68歳になる母親には毎日の様に弁当を作ってもらったり洗濯して貰ったりと苦労をかけている。
昨年初めて雲仙に連れて行ったきり今年はどこにも連れて行っていない。
たまの親孝行をと考えた。
「二人で行ってみようか」
朝食の時に誘ってみた。
「そんなに仕事を休めんき行かん」
あっさりと断られてしまった。
旅行に連れて行ったりすることが唯一の親孝行だと思っていた単純な自分。
51歳になってもまだまだコドモな私。

2005年09月28日

失敗の原因

私の人生上の失敗は価値観の低さにありました。
自分さえ良ければいいと言う自己本位な低い価値観であったのです。
「男というものは外で一生懸命働いて給料を家庭に入れればそれで良い。
俺は忙しいんだ。家庭の問題はオマエの問題だろう。俺の問題じゃない。オマエが解決しろ」
って本気で言っていました。
また、仕事においても結果だけが求められる。結果さえ良ければプロセスなんて完全に無視しても良いと思っていました.。
口にも出していましたし部下にも指示をしていました。
周囲の人から良く思われたい。周囲の人に馬鹿にされたくない。周囲の人から自分がどう見られているのか、そればかりが気になって仕方ありませんでした。
格好ばかりつけていたのです。
傲慢な性格な私は安っぽいプライドもあり他人の忠告なんて全く聞く気にもなりませんでした。
そんな私でも地域社会に貢献したいという気持ちは充分にありました。
だけど何をどうする事が地域社会に貢献する事なのかがはっきりと概念化できていませんでしたから、ちぐはぐな事を平気でやっていたんです。
コミュニティーの最小単位は家庭です。そして職場、地域社会、人類等々があります。
コミュニティーに貢献したいって言う事は職場や地域社会に貢献できれば家庭をほったらかしにしていても良いと言う事では決して無いのです。
人間も家庭も職場も地域社会も人類も地球も宇宙全体も全てがシステムで構成されていることを知らなかったんです。つまり、全て同じ気持ちでないとダメだという事を知らなかったんです。
家庭と職場を分離していたらダメなんです。こっちはこっち、あっちはあっちという気持ちじゃダメなんです。家族を大切にしたい。自分の事よりも家族のためにと思う人が職場でも目の前の人を大切にしたいと考え愛情を持って人を育てる事が出来るのです。そして地域社会に貢献したいと思えるんです。
仕事にしても例え結果が出なくても何が問題だったかを明確に浮き彫りにしてみんなで検討すれば必ず解決するのにプロセスなんか全く無視していました。結果よりもプロセスが大切だということに気づかなかったんです。どんな汚い手だてを使ってでも結果を出す事しか眼中にはありませんでした。
自分が評価されれば良いのだ、自分さえ良ければいい。とさえ思っていました。
それが私の失敗の原因だったのです。私の低い価値観にあったのです。
そんな汚い人間を今の会社は拾ってくれたのです。その上大切にしてくれています。
そんな会社に恩を感じれずには居られません。
お客様に尽くす事が会社に対する唯一の恩返しではないかと思います。

2005年09月26日

60億分の1の価値

朝夕はめっきり秋らしくなってきました。
秋と言えば落ち葉。
落ち葉って例え同じ木から落ちた葉でも一枚として同じ形は無いそうです。
石ころもそうです。
人間だってこの地球上に同じ人はいません。
過去もいなかったし、未来もいないんです。
不思議ですね。
この地球上には60億人の人が住んでいますけど価値観も一人ひとり違うんです。60億種類の価値観。
だから目の前の人には60億分の1の価値があるんです。
今お客さんの居ない居酒屋の座敷でうたた寝をしているママを覗きながらカウンターでブロッガーになっています。