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2006年05月24日

醜い実態の自分

周囲の人に良く思われたい、評価されたい、馬鹿にされたくないという仮面(ペルソナ)を着けた自分。

周囲の人に自分という存在を認知させたい自分は極めて打算的で周りの人から損害を受けないように立ち振る舞う自分。

周囲の人から軽蔑されたり、けなされたりする事だけは絶対に許せない自分。

保身的な自分。

あいつは悪い人間や~俺は良い人間や~と、常に周囲の人を対立的に見てしまう自分。

利己的な自分。

どこまでも自己本位な醜い自分が私の自我の実態なのです。

そんな自分でも一つだけ信じられる自分を見つける事ができました。

醜い、汚い自分だからこそ有機体システム統合思考で生きていく事が必要なのだとこころから信じている自分を発見した。

残された人生を充実させたいと願う。

2006年05月21日

目の前の相手の問題点

普段私たちは目の前の相手に対して問題点を発見した時はどうしてもその人を批判的に捉えてしまいます。

私にはその様な問題点はなくあなただけその問題点があると捉えてしまいます。

このような思考により相手の問題点を指摘すると相手はこちらの指摘を受け入れるはずはありません。

お互いが自我にとらわれた状態では良好な関係性は保たれないでしょう。

相手が自分の問題点について理解してくれたとしても相手が感謝まではしてくれないでしょう。

共感性が大切ではないでしょうか。

共感性とは相手が現在の問題点を抱える結果になった理由や背景に対する思いやりと優しさです。

自分でも同様にその人と同じ環境であればその様にならざるを得ないと言う共感的確信です。

そして自己の中にある相手と全く同質の問題点の気付きが求められるのではないでしょうか。

2006年05月15日

ダイエットしたら生活習慣病予防健診の数値が変化しました~

凡例
 ①は平成17年5月17日の記録を示します。
 ②は平成18年4月27日の記録です。

■体重 
 ①79.56 ②73.20

■GOT
 ①H54 ②30

■GPT
 ①H136 ②H49

■γ-GTP
 ①H202 ②H67

アルコールを止めた訳でもありませんが数値の変化にビックリしています。

2006年05月12日

ダイエット報告

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最近ビールや揚げ物の誘惑で74キロ前後をうろうろしていた。

最近声も掛けられないほど表情が険しい時があるけどストレスが溜まってるんじゃないの?

と周囲に心配をかけたことも。

あぁ無理しているのかな~

2006年05月07日

田川の神幸お疲れ様でした~

私の住まいは飯塚市なんですけど川崎町櫛毛の区長さんから助っ人を頼まれて御神輿担ぎに参加させて頂きました~

お祭りに参加するのは私の人生で初めての事でした。

雨降神社のご神体が豊前川崎駅前の神社で一泊されていたので私たちがお送りする役目だったのです。

境内で地区の獅子舞が奉納され、安全祈願を受けた後出発。

20人~30人の男(平均年齢40歳ではないでしょうか)で担ぎました。

御神輿の進行方向後方に背が高い人、前方には背が低い人が位置したのです。

歩き始めて気付いたのですが、私の肩と御神輿の担ぎ棒との間に隙間があり肩に重量が感じられなかったのです。

「おぉっっ、これはラッキーな位置を確保した」

と自己本位な私は内心そう感じました。

ところが予想外に御神輿は重く100メートルも進まない内に息をつく始末。

肩に食い込むような、ずしりとした重量を感じ、あっちよたよた、こっちくねくね。

奥谷公民館や政時邸や東川公民館、長井にある神社の境内などで接待を受けアルコールで勢いを。

と言うよりもアルコールで辛さを癒そうとムダな努力をしていたのかも知れないがとにかくビールが水のように喉を通る。

豊前川崎駅前の神社から目的地の雨降神社まで直線にしてどれくらいの距離だろうか、5キロ~6キロぐらいの距離ではなかろうか、ところが遠回りをしてあちこちに立ち寄ったので、出発したのが午後4時頃、やっとの思いで目的地に辿り着いたのはとっくに午後8時を回っていた。

あたりはもう真っ暗闇、体は疲れ果て正に雑巾の様にぼろぼろな状態であった。

でも全員でやり遂げた達成感や一体感があった。

自分一人が肩を抜き楽をしようものならその負担は全員にかかってくる、だから、力を抜けないのだ。

ずるい自分をちょっとは見直したかなと思う一時であった。

2006年05月05日

近代文明社会が成熟すると離婚が増えるってホント?

フランスの社会学者のディルケームは100年も前に近代文明社会が成熟すると家庭が崩壊すると予言していたそうだ。

現在の日本はディルケームの予言通りに親子の間で殺し合い夫婦の離婚は社会現象化している。

何が問題なのか。

教えなければならない事をきちんと学校教育で教えていないのではないだろうか。

自分は何のために生まれてきて何を信じて何を目標に生きているんだとちゃんと言える人が世界に何人いるでしょうか。

2006年05月01日

発想の転換の試み

その人に感じてしまう憎悪の念は、何故起きてくるのか。

それは、私の中にその人に抱く嫌な印象と同じものが私の中にもあるからだと思う。

そうでなくては、その人の嫌な部分を私が気付くはずがない。

もし、そうだとしたら私にも相手と同じ嫌な部分があることになる。

そのことを確信すれば相手の人の嫌な部分と全く同じものが私の中にあるということになる。

他人事とは思えないその人のこころの中には確かに嫌なこころもあるがその全部が悪いものとは限らない。

むしろ他人に同情してあげたいこころもあるに違いない。

そこで思い切って自分の方から積極的に好意と共感を持ってみよう。

その前提で私がその人に抱く嫌な印象を文章化してみよう。

そしてその文章化した内容を自分に置き換えて振り返ってみたい。

その内容の中を読んで私の中にも同じ嫌なものがあると信じられたら私がその人を受け入れられることになる。

その人を受け入れられたら、これまでの日々の私の対応がその人を深く傷つけていた具体的内容が分かってきた。

これからひとつ一つ私の行動を具体的に変えていくため行動目標をつくろう。